2015年2月15日日曜日

ひと一人の大切さ(1)

「思想・信教の自由の日」に寄せて

牧師 山口 雅弘

  2月11日は、日本の「建国記念の日」と制定されている。「建国記念日」は、かつて「紀元節(きげんせつ)」と呼ばれ、神武天皇の即位を祝う日であった。

  神武天皇は日本書紀の神話に出てくる人物で、紀元前660年2月11日に、初代天皇に即位したとされている。この神武天皇が「日本国」を作り、日本の歴史を支配するという「建国神話」が生まれる。その神話に基づき、明治政府は「国家神道」を柱に天皇制確立のために「紀元節」を制定した。以来、紀元節は重要な祭りごとになり、特に戦前・戦中において、国家体制によって人権や思想・信教の自由が奪われ、天皇制に反対する人々やその式典は弾圧されていった。

  戦後も「紀元節」の式典は続けられた。そして、それが「建国記念の日」と名前を改められ、正式に日本の祝日に制定されたのが1966年であった。

  1980年の「建国記念奉祝式典」(神社関係者と右翼団体の主催、総理府と当時の文部省が後援)の時、運営委員長の清水幾太郎氏は、次のように表明している。

  「建国記念の日とは何ですか。紀元節と呼ぶべきです。本日は紀元2640年を迎える日です。日本が幾久しく存続するために、・・・ 赤い血を流し、その身命をもって君国に捧げる覚悟を持たねばなりません」云々と。要するに、これからも戦争によって命を失い、血を流しても、「君国」つまり「天皇の国」に命を捧げる覚悟を持たねばならないと言っている訳である。

  2月11日は「建国記念の日」と名前を変えたが、その本質は全く変わらず、否むしろ、戦前・戦中の言論統制、思想や宗教弾圧の暗い歴史がじわじわと社会に広がっていると言わざるを得ない。「憲法改正(悪)」の声、軍事力増強と防衛費増大、そして防衛庁が防衛省に格上げされ、「教育改革」と、本当に危険な事態になってきていると言わざるを得ない。

  時あたかも、安倍首相は吉田松陰を絶賛し、NHKでは松陰の家族を中心とする大河ドラマを放映し、道徳教育の柱となる「教科書」に欠かせない人物として松陰を取り上げている。吉田松陰は、絶対的な天皇制の擁護者、オーストラリアを含むアジアの植民地化(大東亜共栄圏の確立)、また忠君・愛国の思想を確立する立役者であった。安倍首相は、松陰を最も尊敬する人物と言ってはばからない。

  日本の教会は、この2月11日を「思想・信教を守る日」としている。(続く)

2015年2月8日日曜日

大人になれなかった子どもたち(2)

牧師 山口 雅弘

  太平洋戦争の終わり頃、絵本『おとなになれなかった弟たちに・・・』に登場する国民学校(小学校)4年生の「ぼく」は飢えていた。「ぼく」に弟の「ヒロユキ」が生まれる。しかし母は、お乳が出ない。やっと配給された一缶のミルクだけが、誕生したばかりの弟「ヒロユキ」の大切な食べ物だった。それなのに…。
  絵本の一部で、米倉斎加年氏は次のように語っている。「でも、ぼくはかくれて、ヒロユキの大切なミルクをぬすみ飲みしてしまいました。それも何回も…。 ぼくにはそれがどんなに悪いことか、よくわかっていたのです。でもぼくは、飲んでしまったのです。ぼくは弟がかわいくてしかたがなかったのですが、… それなのに飲んでしまいました。」

  その後、家族は田舎に疎開する。しかし、平和な時代には隠されている人間の本性がむき出しになるのであろうか、家族は親しかった親戚や色々な人に冷たい仕打ちを受ける。やっと落ち着く先にたどり着くが、小さな赤ん坊のヒロユキは、病気になってしまった。
  「10日間ぐらい入院したでしょうか。ヒロユキは死にました。暗い電気の下で、小さな小さな口に綿にふくませた水を飲ませた夜を、ぼくはわすれられません。泣きもせず、弟はしずかに息をひきとりました。母とぼくに見守られて、弟は死にました。病名はありません。栄養失調です。… 」
死んだ弟を背負って家に帰る母とぼくは、頭上高く、夏の空をB29がキラリと光って飛んでいくのを見る。それからわずか半年後、日本は敗戦を迎えることになる。
  「ぼくは、ひもじかったことと弟の死は一生わすれません」と、絵本は記して終わる。戦争は、兵隊たちの殺し合いだけでなく、多くの人々に戦火の炎を浴びせて殺傷する。と同時に、飢え渇きという形で、小さな赤ちゃんからお年寄り、病気や障がいを持った人、また弱い人を生きられなくし、そして死に追いやる暴力であると言わざるを得ない。
  豊かなものに溢れている現在であっても、日本のみならず世界各地で様々な暴力が満ちあふれている。子どもたちの心が蝕まれ、悲しく痛ましい事件が毎日のように起きている。また、飽食の時代の中で、真実に人を生かす言葉に飢え渇いている時代ではないだろうか。

2015年2月1日日曜日

大人になれなかった子どもたち(1)

牧師 山口 雅弘

  私たちは、世界の中で見ると、毎日豊かなものに恵まれて生活している。このことを先ず、感謝したい。がしかし、雪国では寒さに凍えながら夜から明け方まで雪の中を歩き通し(寝ると凍え死ぬから)、朝早くやっと地下街や電車のホーム、公共施設の片隅などで暖を取り、水を飲んで飢えをしのぐ「路上生活者」が命をつないで「生きて」いる。

  歴史を見ても、わずか70年ほど前、世界大戦のさなかに、日本のみならずアジア諸国、また世界中の国々の人々、とりわけ子どもたちや女性たちが食うや食わずの大変な状況であった。兵士たちだけでなく、小さく弱い人々が戦火におののき、また飢え渇き、栄養失調や病気によって尊い命が奪われていった。

  現在も、世界の至る所で戦争や災害によって多くの赤ちゃんや子どもたち、また障がいを持つ人々が尊い生命を失っている。美しい音楽を聞き、本を読み、勉強し、友だちと語り、愛し合う人と分かち合う夢や希望の一切が奪われてしまうことほど哀しいことはない。

  戦時国のみならず、現在「イスラム国」の権力者が幼い子どもたちに銃や爆弾を持たせ、戦いに追いやっている現実を知らされると、どれほど小さな行ないであっても、その行為を通して「平和を実現する」生き方の重要性を思わざるを得ない。そして、物質的・経済的な豊かさを感謝しつつ、私たちは自分の生活を見直してみる必要があるだろう。

  一冊の絵本を紹介したい。『おとなになれなかった弟たちに…』という絵本である。作者は、なかなかユニークな俳優で、絵本作家としても知られる米倉斎加年で、昨年8月に80歳で亡くなった人である。

  米倉さんは、自らの経験をもとに、この絵本を書いたと言う。丁度、太平洋戦争の終わり頃、絵本に登場する主人公の「ぼく」は、国民学校(小学校)の4年生。主人公の「ぼく」は、米倉さん自身であった。

  その時は、まさに飢えの時代。子どもたちは皆、お腹を空かして食べるものがなかった。その時代の苦しさを思い出す方も多いと思う。

  そのような中で、弟の「ヒロユキ」が生まれる。けれども、母親はお乳が出ない。これ以上に薄くはならないというほどの雑穀のとぎ汁、やっと配給になった一缶のミルクだけが弟の大切な食べ物だった。
それなのに…。(続く)