2015年4月11日土曜日

感謝の折り目

牧師 山口 雅弘

  稲城教会に招かれて、一年が経った。単身赴任とは言え、生活に必要な物を揃えての引っ越しの準備、着任してすぐに毎週の礼拝の準備に忙殺されてきた。しかし何よりも、私を迎えるために、多くの方々の祈りと備えがあったことを肌で感じることができ嬉しく思う。

  この一年を振り返ると、長くもありあっという間に過ぎ去ったようにも感じる。人との新しい出会いも与えられている。地上でのお別れをし、神のもとに送った方々もいる。多くの方の喜びや悲しみ、切実な祈りや願いを知らされる中で、礼拝で語るメッセージは、教会の現実とそこに連なる人々との関係で生まれることをしみじみ感じさせられている。また、様々な課題や問題に直面し、予想もしていなかった教会のこれまでの歩みと事情にたじろいだりもしてきた。

  にもかかわらず、稲城教会の方々と楽しく歩んでくることができ、神に心から感謝せざるを得ない。
  全国にある大方の教会では、複数の牧師や事務員がいる大きな教会とは違い、牧師は「何でも屋」になって色々なことをしているだろう。不器用な私にとって、礼拝や集会などの準備以外に、庶務は意外に時間を必要とする。様々な方との面談、訪問、便りで安否を尋ねることも、大切な働きになる。
  その中で、教会の方々や役員の方々が、掃除に始まり、礼拝堂に飾る花の準備や庭の花の手入れ、営繕の働きなどをして下さっていることを感謝したい。実務ができなくても、礼拝に来られない方を覚えて祈り、教会の働きを支えるために献金し、礼拝に可能な限り参加する方々がいることを感謝したい。
  「牧会」とは何かと問われると、杓子定規に答えられないが、礼拝を含めて、人との関わりの中で「生命と人生を大切にする」すべての事柄が牧会につながると言えるだろう。さらに私は、教会外での活動、人権や社会的な問題に関わること、神学校での教育や研究も大切な働きであると受けとめている。
  この一年、私は何を語り、何をしてきたかを静かに省みたい。イエスが生涯を通して示した神の愛と平和の福音、癒し、権力への挑戦的な生き方などを伝えるのに、力の無さをつくづく思う。同時に、肩の力を抜いて、私自身がもっと「楽しい」日々を過ごすことが必要だと思うこともある。
  現在、聖書の学びで真剣に問われていることを教会でどのように共有するか、稲城教会はこれからどのような歩みをすべきかなど、時間をかけて皆さんと共に考えていきたい。神の働きを現わしていく教会として歩むために、欠けの多い私が用いられますようにと祈りつつ、感謝の折り目としたい。

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